「誰かのために」は、「自分のため」に。

  • URLをコピーしました!

気がついたらバレンタイン直前、、!!

手作り派の方、今年のラインナップは

決まりましたか??(*¨*)

 

 

去年のものとかぶらないように、、

一昨年のものとかぶらないように、、

とか考えてたら頭がパンクしそうになって

 

なんかバレンタインめんどくさ!!

 

って思い始めてきたから

「もう自分が食べたいもの作ろ〜」

というスタンスに変えてみたら

俄然バレンタインが楽しみになってきたチュー

 

 

去年はこれ↓↓

 

一昨年はこれ↓↓

 

 

旦那さんがトリュフ大好きだから

とりあえずトリュフは毎年固定。

 

それ以外のものは

全体の色味とか味が似通ってないかとか

諸々の条件をクリアする組み合わせを

頭を捻りに捻って決めるんだけど

 

 

このラインナップを考える作業が

すべてのプロセスの中で

個人的にはいちばん大変、、

そしていちばん億劫、、、

 

 

彼はトリュフがあれば

十分らしいんだけど笑

なんだかんだで毎年頭を捻らせては

あれこれ作りたくなってしまう。

 

 

完全に自己満足だけど、

喜んでもらえるのって

やっぱり嬉しいからなぁ、、、(*´-`)

 

 

 

自己受容とか自尊心とか

そういった”自分側”のフィールド

整えて美しくしていくのも

人生の幸福度や満足度を高めてくれるけど

 

 

誰かに喜んでもらえた、

誰かの役に立てた、みたいな

 

”相手側”のフィールドを考えた

行動をすることによって感じた

幸福感や満足感って

 

”自分側”のフィールドにいるだけでは

感じることができないような

「濃さ」があると思っています。

 

 

この「濃さ」を

心地よく感じれない時期は

”自分側”のフィールドを放置して

”相手側”ばかりを意識している時。

 

どっちかに偏っていたら

心地悪さを感じるようになってるから、

人間の感情ってすごいなぁと。

 

 

 

これは私がそうだったのですが

 

「退屈」っていう感情は

”相手側”のフィールドを満たす時期、

つまり他者貢献できるようなことを

自分が求めているような感覚があって。

 

自分ばっかり満たしていても

いつか飽きてしまうんですよね、、

 

 

そのうち、

人生そのものがつまらなく感じてくる。

 

他の人から見てたら

”自分側”は満たされてるから

一見幸せそうには見えるんだけど、

本人は結構しんどい時期だったり。

 

 

 

誰かを喜ばせるために、

誰かの役に立つために、っていう行動は

 

その”誰か”以上に

実は自分自身がいちばんの恩恵を

受けているものだなぁと思いますクローバー

 

 

***

 

 

一昨年、すごい量を作ってた笑

 

 

なんだかんだで作り始めたら楽しくて、

というかたくさんのスイーツを

好き放題食べれることが嬉しくてチュー

 

今年も気合い入れて頑張ります!!!

 

 

ではまた〜^^

 

原田しおり

  • URLをコピーしました!
目次