自分を制限する「先入観のトリック」から抜け出す!

  • URLをコピーしました!

今回の記事は

*アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』
*東野圭吾『悪意』

のネタバレを大いに含みますので、
これから読む方はそっとサイトを閉じて
そっと他の記事をお開きください、、、


、、、、、、


、、、では、よろしいでしょうか??



名作と言われている『アクロイド殺し』を
つい昨日読み終えた、というか
Amazonオーディブルで聴き終えたのだけど

私の好きな東野作品のひとつ、
『悪意』と同じトリックが使われていて
たまらなく面白かったのです、、、!

主人公から見た事件の状況や展開を
「手記」として詳しくまとめたものを読者に読んでもらう、
というスタイルで話が進んでいくのですが

どちらの作品も、
犯人がこの主人公なんですよね、、、!

「手記」の文章では
いかにも善人な人柄を醸し出すような
言葉選びや表現をしているものだから、
私は語り手である主人公を
真っ先に犯人リストから除外していました。

特に『アクロイド殺し』では
語り手の職業が人の命を助ける医者であったこと、
探偵ポアロと協力して事件を解決しようと動き回っていたことから

まさかシェパード先生が犯人だなんて、、、
というショックをしばらく味わうことになりました。悲し、、、
(ストーリーの面白さ、という点ではかなり嬉しい裏切りであったことには違いないけど!)


これは主に推理小説で使われる
”叙述(じょじゅつ)トリック”と言われるもので、
読者の先入観を利用してミスリードへと導いていく技法らしいのですが

私は毎回ホイホイとミスのリードにされるがままに、
完全に踊らされています。
楽しく、踊らされてる笑

先入観の力によって
ところどころに散りばめられている矛盾点や
犯人につながる重要なヒントが
「あるけど、見えない」ようになる。

それはもう「ない」のと同じなのです。



最近になって

自分が普段「意識を向けていること」が
いかに現実に影響するのか、
いかに自分の人生をつくっていくのか


というのを主に脳科学の視点から改めて
学び直して、実践をしている最中なのですが

この”自分が意識を向けていること”の
「反対」の方向にあるものは、
やっぱり「あるけど、見えない」んですよね。


自分には何の才能も魅力もない!!
ということに意識を向けていたら
「何の才能も魅力もない」自分しか見えないし、

その証拠となるものを
日常でも無意識に探すようになります。

誰かの何気ない一言を
「それって私に魅力がないってこと??」
みたいに捉えたり、

できること、よりも
苦手なことやできないことに焦点を当てては
私なんてどうせ、、、って落ち込んだり。

「自分には才能も魅力もない!!」
「そんなもの、あるわけない!!!!」

という先入観にミスリードされるがままに進んでいってしまうと、

本来の自分が持って生まれたものを
磨いて、発揮していく機会は
どんどん遠のいていってしまうのです。


反対に「才能も魅力もある!」という方向に意識を向けて
それを「見よう」とすると、本当に「見えて」きます。

実際には
それは今までもそこにあったのだけど、
ただ「見えてなかった」
だけ。

自分で作った叙述トリックから抜け出せたら、
見える世界は大きく変わっていくはずなのです、、、!


脱!じょじゅつとりっく!!!笑


***


今は引き続きポアロシリーズの
『ABC殺人事件』を読んでる(聴いてる)のだけど、

このストーリーって
ずっと前にやってた日本の某人気ドラマと
同じような事件の流れな気がしてる。

ドラマといいコナンといい、
みんなポアロを通ってきてるのか、、、?!笑


ちなみに本は東野圭吾さんの
『白鳥とコウモリ』を読んでます(読んでる)。

東野さんの作品って
ぽん、ぽん、ぽんっっっって感じで
一つひとつの文章がシンプルだから、
気がついたらあっという間に物語が進んでる。


みなさんの好きな作家さんは誰ですか??(*¨*)

ではまた〜!

  • URLをコピーしました!
目次